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「ギー・ド・モーパッサンとロートレックス」
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(1864~1901)はフランスの画家です。
一般的に姓は「トゥルーズ=ロートレック」、または単に「ロートレック」と呼ばれることが多い。
ロートレックの生家は、フランスの名家であり、伯爵家です。
両親はいとこ同士で、父のアルフォンス伯は、奇妙な服装をするなど、変わり者で有名でした。
トゥールーズ=ロートレックは、幼少期には「小さな宝石(プティ・ビジュー、仏: Petit Bijou)」と呼ばれて家中から可愛がられて育ちました。
しかし弟が夭折すると両親が不仲となり、8歳のときには母親と共にパリに住まうようになりました。
そこで絵を描き始めました。すぐに母親は彼の才能を見出し、父親の友人の画家からレッスンを受けるようになりました。
一方、同時代を生きた、ギー・ド・モーパッサン(1850~1893)は、その冷酷な女性描写からアンチ・フェミニストとしてこれまで評論されてきました。
実生活でも、3人の私生児を決して認知せずあらゆる面で女性に対する拒絶をあらわにしていました。
確かに彼の作品に出てくるのは、愛や戦争に傷ついた哀れな男たちにさらに追い打ちをかけるように痛みを加え、不幸にする女たちが多いようです。
もっとも、「今のヨーロッパにおける道徳心は多様化し、デリケートであるのに対し、その研究は未熟である」というニーチェの言葉も表しているように、彼の過ごした時代が混沌てしていたのも事実であります。
モーパッサンの作品に登場するのは、娼婦や怪物のような子供を産む母親など、悪や死と結びついた女たちばかりです。
しかし、視点を変えてみると、文字の向こうに彼女たちの行為を免責するかのような生きざまが見えてこないでしょうか。
彼女たちは主観的な自由の城の中に生き、独自の意識と意図のままに行動しているだけなのです。
自ら選んで暴力と不倫の中に身を起き、道徳心によって感情を抑えることを拒んでいるのです。
さて、ロートレックとモーパッサンは同時代を生き抜いた者同士で、 新潮文庫「モーパッサン短編集3」にのっているように、多くの接点があったと思われます。
(参考文献:日経メディカル)
①「検診を待つ娼婦」 ロートレックス画 1894年:
フランス 『ムーラン通りの医療検査風景』
当時の娼婦は毎月、検診に通っていた。(ワシントン・ナショナル・ギャラリー)
②写真 「黒い襟巻をつけた婦人」 ロートレックス画 この絵は“性器を武器にして戦ったフランス女性”です。: 1870年代 フランス・プロシャ戦争
『…・私もやつらに、手あたり次第、梅毒をうつしてやりました・・・・』
『梅毒は彼女にとってプロシャ人と戦うための武器だった!』
新潮文庫「モーパッサン短編集3」より
③写真 ロートレック
④写真 モーパッサン
2015年09月24日
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